「敵を愛する」について


すべての人は敵対意識をどこかにだれかに持っているはずですが、
しかし、なぜでしょう。とことん話し合って妨害してる罪をキリストの十字架の血で
洗ってもらい、へだたりをとりのぞくべきではないでしょうか。
本当の敵は人の心の中に住む罪でしょう。罪の解決策は一つキリストの力を借りる事です。
一人一人が罪を悔い改め、敵にもキリストに立ち返りを求めるのです。
自分は祈ってとことんキリストが解決してくれるように頼むのみです。
しかえしを考えてはいけません。キリストの罪の洗いを求めるのです。
自分はやられてもいいのです。もう自分はキリストによって罪赦され解決積みですから。
敵が悔い改めるのを祈るのみです。

敵をどうにかしたいと思うのも普通だと思いますが、敵をどうにかしたいと言う思いは
ある意味主に持って行って悔い改めるべき罪の思いかもしれません。
敵をバカと言う事さえも聖書は罪と言っています。
心に善を生み敵の本当の益を考えてあげましょう。中傷の罪の実よりその反対の義人の実を
作ってみましょう。

それに付け加え、
その人にとっての敵が敵を愛する事を求められたら問題は楽になるでしょう。
敵が敵を愛する事を出来るとしたら戦争は起こらないのではと思います。
民族間の争いは必要でないと思います。
民族でなく害を及ぼす人が悪く、害を及ぼす人と害を及ばさない人はわけて
考える必要性があります。その上、民族間の争いを起こす人はその民族の持っている
道徳的教えをおろそかにする人ばかりです。罪はいけないのです。
害を与える人が敵を愛する事を学んだら害が薬になると思います。
まず、あなたが愛さなければ、敵は愛さないでしょう。愛を示してやって下さい。
よく勉強し、話し合い、何が罪で、何が妨害している物で、何が害で、それについて
指摘し説得するのもよいのではと思います。聖書に書いてある罪が罪です。
だからクリスチャンこそ先頭にたって敵を愛する模範にならないとと思います。
敵を傷つけて敵のために祈らずに心で殺しをしていたら、敵もしかえしするのはあたりまえです。
なるべく人を傷つけない人になるべきだと思います。罪をすくなくしましょう。
イエスははっきりしかえしはしないようにと言いました。
地上は問題だらけの所です。キリストの命をもらったのなら、体を傷つける敵を恐れるのでなく、
神を恐れ、解決は神様です。問題になっても次生が栄光の本番である事を覚えて下さい。

敵を愛するとは、
敵の言う通りにすると言う事では、ないと思います。敵と平和的解決の相談は必要で、
敵も一人の人間として神の哀れみの対象である事を認識する事で、
敵でもお互い学ぶべき点はある人であると思う事は大切だと思います。
とことん話し合えば理解し合い、意見の食い違いも受容し、学び合い、そういう考え方もあると言う事も少しは
理解し合う事が出来るようになるのではないでしょうか。

(敵でも、その敵と冗談を言える仲になれるんだったら、喧嘩は避けるべきです。
時に敵を敵と呼ばず、時に敵を敵と呼び、時に敵はバカと言う時もあるでしょうが、
敵は頭が言いとか、かっこいい、かわいい、きれい、と誉めてあげるのもいいでしょう。
時に敵に対して尊敬も必要でしょうし、敵には食べ物、仕事、
お祈りが必要と感じるのも大切で。喧嘩は避けるべきです。敵も愛を学ぶべきで理解を学ぶべきです。
そして、敵も自分も同時に敵を愛するべき事を知るべきです。)

そして寛容、受容を示してあげる事が敵を愛する事だと思います。
そして敵でも救われるように祈る事もしないといけないと思います。
害を求めない人も、害を求める人にもある意味、説得し、止め、よい教えに立ち返らせる人がいるべきです。
とことん話し合えば解らない事はないかもしれません。ある意味お互いの問題を勉強し合い、
理解を求める姿勢がみんなにとって大切ではないでしょうか。私にとってもあなたにとっても
理解すれば解決出来る事がたくさんあるのではないでしょうか。すべてを、人格さえも、神さえも、
人間さえも勉強する事は解決の糸口ではないでしょうか。理解出来ない人(文字の読めない人は
かわいそうだと思います。)愛は知る事でもあると思います。とことん知りましょう。人を知る事が
出来ない人はかわいそうだと思います。愛を知らず、人間味を知らないからです。
神様は愛です。愛の人は本当の愛を求めましょう。全力で人を愛する事は神を全力で愛してる証拠でしょう。
愛なる神様の事が大好きになるのが必然ではないでしょうか。

しかし、本当の敵、悪魔とは戦うべきです。これが本当のするべき戦いではないでしょうか。
戦いは聖書に従う事です。聖書の力を悪魔は嫌います。悪魔は聖書を曲解をさせようとします。
従わない事は悪魔の力に加担してる事です。従わないといけないのです。理解しないといけないのです。

悪魔なくして自分のキリストとの関係はないと思う。
違った言い方で、
悪魔が現れる事によっての自分の反応が、その人の義の個性になるかもしれません。
悪魔が現れる事によって、その人の義の器が始めて発揮される事になります。
生きて行く上で、悪魔の力が現れる時こそ、自分の義の行動が発揮されるのです。
悪魔の世の中だからこそ、=敵の世の中だからこそ、
良心の葛藤があると思います。
ある人は真っ向から悪に反対し、
ある人は隠れてなら悪い事をしてもよいと言い、
ある人は言い訳があれば悪い事をしても良いと言い、
ある人は信じないで、意味なく軽い動機だからする人もいるでしょう、
ある人は欲に引かれて悪い事をし、
ある人は人や、みんながするから悪い事をしてもよいと言い、
ある人は生きる為に悪い事をすると言う人もいるでしょう、

実はほとんどの人が(人間とは)やりたくないが、悪い事をすると言うのが本当だと思います。
本当の悪は進んで出来ないと思います。
だから良心があるんだったら善に帰ってみて下さい。

あなたが愛を知らないとは思いません。
神様があなたの事を愛してる事を信じて下さい。
神様が愛である事を信じて下さい。
良心があるんだったら愛を知っているんだったら、やり直してみて下さい。神の中で。
良い人になって下さい。清算して下さい。
良心があるんだったら愛があるんだったら創造主である神を敬いの念で恐れて下さい。
悪に対抗する力や仕方は、グレーゾーンがあるように、人それぞれ違うと思います。
しかし、個性を出して下さい。対抗する事が個性です。愛する事が個性です。
対抗して下さい。愛して下さい。説明下さい。
本当に正しい事で愛で対抗しましょう。
友情も愛も良心も大切で、みんながそれらのものを持っていると信じます。
敵のない人はいないと思います。和解と言う正しさのために戦って下さい。
悪い人はいつの時代にもどこにでもいます。
そんな中、害人への正しい良い教えへの説得も大事だと思います。

まず、個々が、本当の戦いは自身の選択で、悪を離れ、善に近づき、愛する事で。
神のもとに来て癒されて下さい。神こそ善の源です。神こそ与えぬしです。
いつでも神は待っています。教会も待っています。

忘れないで下さい。
クリスチャンは神の子、光の子、正義の子、イエスにつく者です。
いくら罪人のような生活をしていてもクリスチャンです。
悪魔はねらっています。
時に正しい人を敵にするようなまねをするクリスチャンもいますし、
自分は悪人と言うクリスチャンもいます。
悪人でも本当はその人は正しい心を持つクリスチャンです。
クリスチャンの中で幼い人はみことばを一心に食べて下さい。
それによって矯正され、血と肉の栄養となり成長するのです。
本当に正しい人、特に無知的に正しい人は悪魔に取って敵で、
格好のまとです
悪魔は本当はハッキリしています。
ハッキリ人間と戦おうとしています。
あなたを救いたいのはイエスです。
悪魔は人類の敵です。
悪魔はすべての人を滅ぼそうとしています。
「悔い改めの救い」を悪魔は嫌います。
イエスに心をつねに向けて下さい。

敵を愛するとは敵を許すと言う事
だから、私はその人がどんな事をしても、
たとえ私がやられようと、祈り耐えて、
平和的解決を求め、愛し、
人間的争いを避けようと思います。人との戦いを放棄しようと思います。
裁いたり復讐をするのは神に任せようと思います。さばきより今はイエスの時です。
許す時、忍耐の時でしょう。裁いてたら救いの希望は減るのではないでしょうか。
気づいて下さい。悪魔が人類を滅ぼそうとする本当の敵である事を。
イエスが神の子で、正義の側で、許し主で愛です。
イエスにあなたを許ささせて下さい。
イエスは聖書で言いました。「暗闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、
わたし(キリスト)を信じる信仰によって、彼らに罪の許しを得させ、
聖なる者とされた人々の中にあって御国を受け継がせる為である。」と。

聖なる生活を志しなさい。常に悔い改めなさい。

今、はっきり敵を決めて下さい。イエスか悪魔か。

実は悪魔はあなたの事を敵と思っていますが。

イエスに、はい、か、いいえと答えて下さい。

神に立ち返るか、はい、か、いいえで答えて下さい。

今、悔い改めたいのか、そうしたくないのか、はい、か、いいえで答えて下さい。

改心したいのか、したくないのか、今、はい、か、いいえで答えて下さい。

(これは私の1つの意見ですが、すべてを許す人が救われるのかもしれません。

すべてを許して救われるイエスを信じてみたくないですか。はい、か、いいえで答えて下さい。

敵が敵を愛する事を望み、欲を求めずキリストによって清められ良い人に変えられる事を祈ります。

敵が隣人を愛せる事を願います。敵が知人を愛せる事を願います。十字架を解って下さい。)

心を洗われたくないか、洗われたくないのか、はい、か、いいえで、今、答えて下さい。

Say Yes or No。


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