つらい人へ(愛なる賛美)
つらくても教会に来て下さい。
一番教会で大切な教理とは「許し」ではないでしょうか。
許すため、許される為に教会に来て下さい。
そしてつらくても許し許され解放の中で賛美しましょう。
救いは大切ですが、神様私は幸せですと告白しましょう。
神様は何が出来る出来ないよりも関係を大切にする方だと思います。
何にも出来なくてもいいのかもしれません。
すべての人は基準に値しない罪人でした、
いろんな罪人がいます。
神様に頼り、信頼する人。祝福されてる人。
まじめに生きている人、反対に嘘をついて生きている人、
わざわいをしょってる人、わざわいをしょってない人、
幸福に生きている人、不幸せに生きている人、
神様を愛している人、神様を愛してない人、
最悪の環境にいる人、良い環境に生きている人、
どんな環境でも感謝する人、どんな環境でも文句言う人、
報われる人、報われなくても現状を受け止め出来る限りを尽くし輝く人、
現状を神からのギフトと思う人、現状を悲観する人、
確かにいろんな法則があります。
嘘で生きる人。
物理で生きる人。頭良く生きる人、賢く生きる人、
罪をしてしまう人、
罪を愛する人、
ごめんなさいと言って生きる人、
正しく生きる人、
正直に生きる人、
誠実に生きる人、
愛を大切にする人、
お金ばかりを大切にする人、
役に立つ事ばかりを考える人、
役に立たない人を切り捨てる人、
傷ついた人を助ける人、
困った人の世話をする人、
いつでも喜び、いつでも笑顔を絶やさない人、
心を大切にする人、
神に頼る人、
聖く生きようとする人、
上にいろんな罪人の例、そしていろんな善人の例をあげましたが、
それらの全部の人のしなければならない結論はみんなで許し合い、許される事ではないでしょうか。
聖書の法則とは正しい人の方が得をするのは事実でしょう。
しかし十戒を守った上での良い品性の生き方を選ぶ事は大切だと思います。
その品性の中には愛、平安、喜び、寛容、柔和、親切、善意、自制、などがありますが、
十戒を守り、その良い品性の上に「許し」が出来る事がもっとも大切ではないでしょうか。
(もちろん、大切なのはイエスのために熱くなる事もです。
命の恩返しの日々に熱くなれる事は本当の幸せでしょう。
しかし裁きに燃えないで下さい。それはキリスト教の接点ではなくて、接点は
「許し」に燃える事だと思います。)
イエス様は誰でもイエスを信じる者は天には迎えてくれると言ってくれるでしょう。
そして御霊に頼れば御霊が導いてくれるとも言います。
聖書は恵みについて討論します、行いに対してです、行いは誇れますが
恵みは誇れない物なのです。恵みを誇ったらもうそれ以上恵みでなくなります。
もらう事にも意義がありそれ以上に与える事に意義があり、与える事も恵みなのです。
すべては神様の業となるのです。
困難の中の人は痛みをわかちあう事は希望にもなりますが、
不満を言う前に出来るでしょうか、
パウロと言う人はどんな状況でも「満ち足りる秘訣」を知っていると言う言葉を残しました。
「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ」と言う言葉が聖書にはあります。
罪のせいで逆境になる人もいるでしょうがパウロの経験した逆境は罪のせいではありませんでした。
パウロの経験した逆境(牢に入れられ、むち打たれ、死に直面し、石で打たれ、難船し、川の難、盗賊の難、
同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難、労し苦しみ、
たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいた事もあった事)
は祝福でした。なぜなら悪い事をして苦しんだのでなく、良い事をして苦しんだのです。だからいつでも
喜びなさいとパウロは命令するのです。
「苦難にあった事は幸いでしたと言う」言葉もダビデと言う人が聖書で残した言葉です。
いつでも、どこでも、誰でも、神様を愛する事が出来ると言う事実に感謝です。
ぼくにはあなたにはもういつでもどこでもどんな時でも賛美ができるのです。
もう賛美が可能と言う事を感謝しましょう。
どんなにつらくてもすべてを受け入れ許し許され天国を賛美出来るはずです。
どんなにつらくても許し許され教会に来ましょう。
教会との関係を大切にしましょう。
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