御怒りか、御許しかのどっちか
イエス様あなたはきびしいのですか、優しいのですか?
確かに愛されているのも解ります。
私はあなたを愛すると言った者です。
困難を通して私があなたを愛するかどうかそれが本当かどうか試される主よ。
困難を通して私があなたに従うかどうかそれが本当かどうか試される主よ。
それを一番あなたは見たいのでしょう。
どれだけ遠回りしても40年間の荒野でもあなたを愛する事を見たいのでしょう。
そして、
困難の本意は私を強くしたいように思われます。
主は許すため、やさしさ、慰めのために御子を送って下さいました。
ただ、御子なしでは罪は許されないと思います。永遠の御怒りに触れるのだと思います。
救い主。イエスよ。我々は御子のように許し合うべきです。
愛し合えるようにお祈りします。
罪に対して徹底的に裁かれる神よ。怒るのもあなたの性質です。
罪の罰は身代わりとなったイエスによって取り去られました。
しかし、罪の罰のような訓練があるように感じます。我々は罪に定められてないのに。
しかし、もっと主を恐れる事を学べるようにして下さい。
学ばないといけないと聖書に書いてあるからです。(申命記8:2申命記31:13)
みことばにおののくようにして下さい。
戦いに必要な善のために従えるようにして下さい。
愛を恐れるようにして下さい。
愛には罪は邪魔です。
ヘブル書13:17に指導者達の言う事を聞いて服従しなさいとあります。
自分には厳しく、他人には優しくして下さい。
自分には厳しく罪に死ねるようにして下さい。
欲に死ねるようにして下さい。(ガラテヤ2:20コロサイ3:3)
愛のために罪を省く力を下さい。
主がイエスに見習ってほしいと言うからです。
我々を罪に定めず、訓戒して下さい。聖化のためにしかって下さい。
罪はダメですと教えて下さい。罪をしないための努力を助けて下さい。
時に罰を恐れるかもしれませんが、目的は罰でも地獄でもありません。
天へ、聖へと用意するのです。準備です。訓練です。
時に地獄行きと言うお仕置きをしてる自分がいたらお許し下さい。
あなたの本当の意図は愛のむちです。
天国に行く事を知った上での浄化です。
罪はイエスの血潮を信じて、しかられ許され浄化されないといけないのです。
怒りたいのは人間自身でなく罪です。(1コリント11:32)
罪のためのいけにえが全人類に必要な事を信じる人がたくさん起こりますように。
そして罪のためのいけにえを信じますように。
罪は解決策ではありません。幸せでもありません。
永遠の御怒りの対象です。
キリストだけが罪を永遠に許せるのです。
キリストは来臨の時まで怒りたくてもそれを遅らせているように感じられます。
まず、人々に救われてもらいたいです。
愛を信じてもらいたいです。
キリストの愛を。
参考聖句:
申命記8:2あなたの神、主が、この四十年の間、
荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。
それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、
あなたの心のうちにあるものを知るためであった。
申命記31:13主を恐れる事を学ばなければならない。
ガラテヤ2:20私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。
いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった
神の御子を信じる信仰によっているのです。
コロサイ3:3あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、
神のうちに隠されてあるからです。
1コリント11:32しかし、私達がさばかれるのは、主によって懲らしめられるのであって、
それは、私達が、この世とともに罪に定められることのないためです。
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