聖くないとダメ


主よ。

2コリント7:1には、
「...いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、
神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか。」
とあります。
ヘブル人への手紙12:14には、
「すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。
聖くなければ、だれも主を見る事ができません。」とあります。

自分をきよめるとは、主だけの力でなく、自分の力でもと言う事だと
思います。努力が必要と言う結論だと思います。
そこにイエス様との関係や自己の信仰実力が存在すると思っています。
どんな事をして自分を聖めるのでしょうか、
聖書を読んで、聖徒に罪を告白する必要性があると思います。
罪を告白すると言う事は弱い事ですが、
その弱さを現す事からカウンセリングが始ると思います。
弱さを告白せずに交流や癒しが起こるでしょうか。
クリスチャンはいつでも傷ついた癒し人であるべきです。

主よ。私は甘い言葉ばかりを求めていましたが、
これから、あなたの厳しい言葉も受け入れないと行けないと思っております。
厳しさなくして成熟した大人として存在できるでしょうか。

主の厳しさに感謝します。そして御子への御怒りにも感謝します。
主の懲らしめに感謝します。

罰でなく、訓戒をお願いします。
私が聖を求められますように。すでに十字架によって罪、許された者。

そして罪に定まらない者になれますように。

キリストのあふれる愛まで達せますように、
本当のありのままの自分を受け入れられますように。
人を愛で包める力に達せられますように。
自分は罪に染まらず、
愛で人の罪を許せますように。
すべて愛なくして意味ありません。

しかし、本当の事言うと 私の愛は偽物かもしれません。主の愛をほめたたえます。
私の愛が主の愛よりすぐれていると言うのでしょうか。
主の愛により頼みます。
力を下さい。






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