つらさ
主は生きている。
主よ。
死を経験してるような時でも、
つらい中でも
苦難の中でも
犠牲愛の中でも
神の恵みを味わえますように。
苦難の中では誰もが逃れたいと考えますが、
どうか、あなたの精錬される御手を喜べますように。
完全な健康面や経済面を普通は望みますが、
どうか、完全を望むのは、自己中心的かもしれません。
コンディションが悪い方が訓練されてる証拠かもしれません。
コンディションが悪くても主に捧げられるなら、まして、
コンディションの良い人は最善を尽くして捧げないといけないと思います。
罪の世の中、コンディションは悪くなりがちが普通かもしれません。
持ってる人が持たない人に与え、持たない人は持ってる人からもらい、
主の中で助け合えるようにお祈りします。
犠牲された神様。
助けて下さい。
犠牲された神様、私も犠牲するのでしょうか。
人は死にますが、主のための犠牲でありますように。
「捨てる者は生きる」それを実行すべきでしょうか。
「助ける者は助けられる」と言う言葉もあります。
人を助けられる心を下さい。
恵みの力を下さい。
死にたくはありません。
死の中でも望みがあるのは、あなたが復活されたからです。
犠牲する時、十字架を思える恵みを下さい。
愛で生かして下さい。
愛され、愛するバランスの知恵を下さい。
最終的に主の栄光が現れますように。
主が悪魔に勝ちますように。
愛が伴わない犠牲でないように。
No gains, without pain.
主よあなたは十字架に行かれました。
聖徒が主の為に死ねるとはなんと素晴らしい事でしょうか。
殉教者はたくさんいました。
パウロもペテロもステパノも殉教者です。
犠牲を払ってかっこよく死にました。強い信仰で死にました。
聖霊と確信と”生きるための祈り”の中で殉教出来ますように。
本当に生きると言う事、それはキリストから永遠の命をもらう事。
本当に生きると言う事、それはキリストのために生きる事。
本当に生きると言う事、それはキリストのために苦労する事。
本当に生きると言う事、それはキリストのために死ぬ事。
本当に生きると言う事、それは永遠の命を述べ伝える事。
本当に生きると言う事、それはキリスト。
愛して、愛して、愛しなさい。(そうすれば自然と犠牲するでしょう。)
「犠牲して、犠牲して、犠牲しなさい。そうすれば愛するでしょう」ではありません。
確信あっての犠牲だと思います。
イエスは、ゲツセマネで3回祈りました。
そして3回目に「時が来た」と言いました。
そして死を覚悟しました。死の従順を決断しました。
怖い事はありません。愛です。みこころです。
参考聖句:
マタイ16:25
命を救おうと思う者はそれを失い、私の為に命を失う者は、それを見いだすのです。
キリストよ。あなたは私の為に犠牲されました。
私も他人のために犠牲を払ってキリストのようになれますように。
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