罰(なし)
毎日、生きていて、おしおき、や、懲らしめ、や、訓練がありますが、
神からの罰と言う物はなくなりました。
信じる者は明るいのです。もうすべてが大丈夫で、信じる者の結末は見えているからです。
我々は御子の中に生きていて、
もし罰と言う物があるんだったらよみ、に送られてたでしょう。
罪の罰があるんだったら先は真っ暗だったでしょう。
私達の経験する懲らしめ、試練、苦難は希望の人格と変わるのです、先は明るいのです。
罰を受けるべき私達の代わりにキリストを罰しました。
キリストが私達の罰をとってくれたと信じる者は永遠の命を得るのです。
貴方の尊い犠牲、いけにえに感謝します。
先を明るくして下さって感謝します。
私の為に死んで下さったお方。おなたを愛します。あなたの大いなる御業に感嘆します。
あなたを愛するとはどんな事でしょう。
まず、苦難に甘んじます。
キリストが苦しんだのなら私も苦しめる事を味わえる事を喜ぶのが道ではないでしょうか。
それも愛じゃないでしょうか。最高のプレゼントをもうもらっているのなら、
苦難の道でもいいのではないでしょうか。
罪をしないよう努力し、その中に留まり、
何もないより、罪の中にいるより、苦難があるのを喜ぶのは、神に近づける、
神からメッセージを頂く交わりのチャンス
の時かもしれません。
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