十字架


まず最初に
十字架での罪の許しに感謝します。
私の罪と言ってもたくさんあります。
自己中心的な所、聖書を一生懸命読んでいない所、
良き行いに富んでいない所、十戒を守れない所、
いたらない所、犠牲愛から逃げている所、
世に迷い出て行ってしまう所、
すべてを許して下さいました。
この世に迷い出た子羊ですが、あなたが私の羊飼いです。
あなたはこの世の悪から命をかけて守って下さいます。

罪の許しのためにする事は許し(キリスト)を信じるだけです。
が罪の許しの後にしたい事は恵みがゆえにたくさんあります。

結局の所、信じない者は罪に定まるとあります。
ですから信じない者にとってはキリストは罪に定めに来たといっても
いいかもしれません。
ごまかすつもりはありません。聖書はみんなを罪人と決めました。
みんなが罪人これを真実として受け止めないといけません。
人間のレベルでどうあがいても神のテスト合格のレベルに達する事はできません。
人間だけで論じた所でどう天国にいけるのでしょうか。
しかし、
信じる者は許されるのです。
確かに罪には度があります。
申し訳ないですが、私の過去の罪は本当に悪い罪と言う度でした。
ある人は思っただけと言う人もいるかもしれません。
しかし、十字架で釘付けにされたキリストを見て、
この読者に思う事がないのでしょうか。
義人キリストは無罪だったのに罪人と同じように見下され、
つばきを吐き付けられ、むち打たれ、それなのにどうして何も言わずに反抗も
復讐心もなく、死んでいきました。(もちろん死から蘇られましたが)
何のための受難だったのでしょうか?
一つは私の大きな罪を許すためでした。
私も一度はキリストの死に賛同した罪があります。
復讐されるのではないかと恐れました。
もう一つキリストの受難の目的は
この読者の小さな罪を許すためじゃないでしょうか。
みんながキリストを求め
キリストの許しを体験しますようにお祈りします。





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